大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和23年(れ)800号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人三宅正太郎の上告趣意第一、二点について。

原判決が本件被告人の所為に対して適用した物価統制令にもとずく昭和二一年七月二〇日大蔵省告示第五八一号「果実の販売価格統制額指定の件」が昭和二二年一〇月二七日物価庁告示第九二九号(論旨に第二二九号とあるは誤り)に依って廃止されたことは所論のとおりである。論旨は、この場合、旧刑訴三六三条の「犯罪後ノ法令ニ依リ刑ノ廃止アリタルトキ」に該当すると主張するのであるが、右大蔵省告示の直接規定するところは、果実の販売価格の統制額であって、この告示の廃止は、要するに、果実の販売価格についての統制額の指定の廃止であって、直接に刑罰法規の廃止ではない。従って右告示の廃止を以て、直ちに前記旧刑訴にいわゆる「刑ノ廃止」にあたるものと即断することはできない。たゞ、右告示廃止の結果として、行為の時には物価統制令違反の罪にあたるとせられた行為も、若し裁判時において為されたと仮定すれば、告示廃止の結果無罪とせらるべき関係においては、「犯罪後ノ法令ニ依リ刑ノ廃止アリタルトキ」と同様になるというに過ぎない。(この関係は、従来頻々として行われた告示の改正により統制額が改訂せられた場合においても、常に起り得るところである)かかる場合について、旧刑訴三六三条の適用を排除する旨の直接の規定のないことは所論のとおりであるけれども、同時にまた、単なる告示改廃の場合を以て、いわゆる「刑の廃止」にあたるとする直接の規定も存在しないのであって、この場合、これをいわゆる「刑ノ廃止」と同視して旧刑訴三六三条に従って、被告人に対して免訴の言渡をなすべきかどうかは、一に物価統制令のもつ法規上の性格いかんにかかるものといわなければならない。

物価統制令は、その第一条に規定するごとく「終戦後ノ事態ニ対処シ物価ノ安定ヲ確保シ以テ社会経済秩序ヲ維持シ国民生活ノ安定ヲ図ルヲ以テ目的トス」るものであって、終戦後という一時的異常な事態に対処するための法規であって、かかる異常な社会状勢が終熄して経済事態が常態に復したときは、早晩廃止さるべき運命にある法規であることは、同条の規定するところによって明らかである。即ち、いわゆる限時法的性格を具有する法規である。しかして同令第三三条はいわゆる空白刑法を成し、その犯罪構成要件の一たる統制額の指定を物価庁長官の告示等に委任していることも、刻々に変移する社会経済状勢に適応すべき統制額の制定変改を挙げて行政庁の事宜に適する措置に一任するものであって、統制すべき物資の品目についても、またその統制額の制定、改廃についても、常に社会状勢の推移につれて変改さるべきことは、この法規の当初より予定するところであるといわなければならない。かかる場合に行政庁の告示の改廃につれて常に「刑ノ廃止」ありとして違反者を免訴すべきものとするならば、裁判の確定は相当日子を要するのが恒であるから、裁判は告示の改廃に追随するを得ない結果として違反行為取締りの徹底を期するを得ないのみならず、違反者は告示の改廃を予測して遵法を怠り、裁判の遷延によって、不当に科刑を免れんとする傾向を生じ、また裁判時の先後によって、同種同質の罪が或は有罪となり或は免訴せられるという不公平な結果を惹起する等、物価秩序の維持という物価統制令の目的は甚だしく阻害されることとなるのである。今や各種物価の統制が漸次徹廃されてゆく傾向にあることは疑ないところであるけれども、統制法規の厳守を確保することは、今日において、依然、国家の喫緊な要請でなければならない。この種経済法規については、この改廃にあたって、殆んど例外なく、法規の廃止後においても罰則の適用については、なお、従前の例による旨の附則が制定せられる所以である。

物価統制令自体においても、その第五〇条に「旧令ハ本令施行前ニ為シタル行為ニ関スル罰則ノ適用ニ付イテハ本令施行後ト雖モ仍其ノ効力ヲ有ス」と規定しているのであって、旧令とは価格等統制令を指すものであるが、同令と物価統制令とはその立法の目的、規定の性質能様を同じくし後者は前者の変身ともいうべきものであり、物価統制令自体において、価格等統制令に関して右の如き規定を有することは、同令が前叙のごとくその第一条において暫行的目的を掲げていること、及び空白刑法の規定を具有すること等と相俟って同令がその包蔵する規定自体において限時法的性格を具現しているものといわなければならない。

況んや物価統制令自体の問題でなく、これにもとずく行政官庁の告示の廃止の場合のごときは、ある特定の品目に対する統制額廃止の結果として、統制違反の行為が必然的に罪とならなくなるというに過ぎないのであって、かかる法規違反の行為を以て自今これを罪とせず、若しくは処罰せずとの法的確信にもとずいて、「刑の廃止」が行われるのではないのである。旧事情下においては反社会性を有つものとせられたその違反行為の可罰性に関する価値判断は告示廃止の後においても依然として異るところはないのである。

尚、本件はりんごの販売価格の統制額違反の事案であるが、これをりんごの配給統制違反の場合と対比してみれば、りんごの配給統制に関する青果物等統制令(昭和二一年勅令二四七号)は昭和二二年政令第一五二号によって、同月八月一日から 即ち本件告示の廃止に先立つこと約三月 廃止されたのであるが、右政令はその附則において「旧令廃止前にした行為に対する罰則の適用については、なお、従前の例による」と規定して旧令当時の違反行為に対しては、旧令廃止後も旧刑訴三六三条を適用しないことを明らかにしているのである。同じりんごについて、しかもわずかに、時を距てゝ配給統制の廃止と価格統制の廃止との間に、一は廃止後も従前の違反行為を有罪とし、他は廃止後は免訴すべきものとして、しかくその処断を別異にすべき理論上、実際上の根拠があるであろうか。立法者の意思は、価額の指定に関する告示の改廃によって、「刑ノ廃止」の効果を生ずるがごときことは、夢想だもしなかったところであろうことが想見されるのである。

以上説明するところによって、本件は旧刑訴三六三条の「犯罪後ノ法令ニ依リ刑ノ廃止アリタルトキ」に該当するとの論旨の採用すべからざることは明らかである。

同第三点について。

本件は旧刑訴四一六条一号によって、第一審判決に対し、上告の申立(いわゆる飛躍上告)をしたものであるが、同条同号によれば「被告事件ノ事実ニ付法令ヲ適用セズ又ハ不当ニ法令ヲ適用シタルコトヲ理由トスルトキ」すなわち原判決の事実の確定については争わず、その確定された事実に対する擬律上の違法を主張するときに限り、上告をすることができるのである。しかるに、論旨は原判決は、公判において為した証拠調の請求に対して決定をしなかった違法があるというのであって、畢竟、原判決の事実確定の手続に関して違法があると主張するに帰し原判決によって確定された事実に対する法規適用上の違法を主張するものでないから、飛躍上告適法の理由とすることはできない。

よって、旧刑訴四四六条に従い、主文のとおり判決する。

以上は裁判官沢田竹治郎、同井上登、同栗山茂、同真野毅、同齋藤悠輔、同岩松三郎を除く裁判官の一致した意見である。

裁判官栗山茂、同沢田竹治郎、同齋藤悠輔の補足意見、裁判官真野毅、同井上登、同岩松三郎の反対意見は次のとおりである。

弁護人三宅正太郎の上告趣意第一、二点に関する裁判官栗山茂の意見は次のとおりである。

物価統制令(以下統制令という)によれば、主務大臣(後には物価庁長官)は価格等につき、その統制額を指定することができる。主務大臣の委任に基づき地方長官又は当該主務大臣の所轄する官衛の長(後には経済安定本部総裁の委任に基づき物価庁地方事務局の長又は都道府県知事)も同様の指定をすることができる。(以下右指定権ある者を物価庁長官等と称す)そして指定は原則として告示によるのである。(統制令四条、三一条、統制令施行規則四条)右によれば、統制額の指定は特定の品種に属する物品について価格を設定する物価庁長官等の行政行為である。指定は不特定人に対してなすものであるから、特定人に対してなす通知にかえて告示による要式行為である。指定は特定の品種に属する物品について集合的にされるけれども、実質的にはその特定された品種に属する個々の物品につき具体的に価格を設定する処分とその性質及び効果において異るところがない。又この指定は例えば地代、家賃統制令により物価庁長官がする家賃の停止統制額に乗ずべき修正率の決定(告示による)又は公職に関する就職禁示、退職等に関する勅令に基づく、いわゆる覚書該当者としての指定(通知による)が、それぞれ統制額又は資格を設定する行政行為であるのとその性質において異るところがない。そして統制令三条は「価格等ニ付第四条及第七条ニ規定スル統制額アルトキハ価格等ハ其ノ統制額ヲ超エテ之ヲ契約シ、支払ヒ又ハ受領スルコトヲ得ズ」と規定している。これによると「統制額アルトキハ」統制額が統制令違反の犯罪構成要件となること、その構成要件該当の事実は統制額をこえて取引することであること、そして右構成要件が統制額があるときに発動するものであることが明らかである。即ち価格の指定そのものは準則を決定するのではなく準則そのものは第三条の定むる所であって、たゞ同条が「統制額アルトキ」と定めて右準則の発動を価格の指定にかけて、価格の指定を同条発動の原動力としているに過ぎないことが判る。統制額指定の行政行為自体は価格を設定するという効果を附する物価庁長官等の処分であって、統制額あるときにおける統制令三条に基づく効果は右処分の効果ではなく処分によって発動する同条そのものの効果である。そして価格の指定によって同条が発動している場合は同令三三条によって「第三条ノ規定ニ違反シタル者」は「十年以下ノ懲役又ハ十万円以下ノ罰金ニ処セ」られるのである。

次に統制額の廃止の処分を考えるに、通常は同処分は統制額指定の告示を廃止するものとして告示されているのであるが、性質上は価格の設定を解除する物価庁長官等の行政行為であって、廃止の告示があれば統制令三条にいう「統制額アルトキ」に当らないから、右廃止の告示の定める日から同条は発動しなくなって睡眠状態に置かれるのである。しかし価格の指定があれば何時でも発動するのである。こゝで区別を要するのは、価格の設定(指定)の場合に罰則の適用があるのは第三条自体の効果であるが、価格設定の解除(廃止)の場合には統制令は何等の効果を与えていないから、右処分の効果しか発生しないことである。従て廃止の告示後の行為者に対して統制令三条が適用せられなくなるのは右処分の反射作用に過ぎない。この処分の価格設定の解除という効果は前の処分を過去に遡って取消すものではなく、たゞ将来に向って効力を発生するだけである。されば統制令に規定のない限り前の指定の処分によって第三条が発動した効果に何等影響を及すものではないのである。即ち廃止の告示の反射作用として第三条が発動しなくなっただけで同条が廃止されたものでないから同条発動中の効果は依然として存続するものであって、統制令三三条にいわゆる「第三条ニ違反シタル者」に対しては右廃止の告示にかゝわらず同条罰則の適用あるのは当然である。されば、統制額指定の告示を廃止する告示があっても、旧刑訴法三六三条の「刑ノ廃止」の問題が生じないことは明らかである。

立法者が統制額の指定そのものを重要視して、立法事項として刑罰法令自体に取入れて、統制額を定める場合は統制額の廃止毎に刑罰法令自体の改廃となるから、この場合には「この勅令施行前になした行為に対する罰則の適用については、この勅令施行後においても、なお従前の例による。」というような経過的規定も必要であるといえる。しかしかような形式によることは物価変動の実状に即しないから、立法者が統制額の決定及び廃止は物価庁長官等の処分にまつことゝし、右処分とは別に右処分に統制令三条の発動をかゝらしめた立法技術の是非の問題は別な命題である。前に述べたように、統制額廃止の告示に伴い統制令三条が発動しなくなっても、同条発動中になした行為者に対する罰則の適用には何等影響を及すものではないから、統制令には例えば「告示廃止前になした行為に対する罰則の適用については、告示廃止後においても、なお、従前の例による」というような経過的規定の必要もないのである。

以上説明するところにより本論旨は採用すべからざるものである。

三宅正太郎上告趣意第一、二点に対する齋藤裁判官、沢田裁判官の補足意見。

物価統制令は昭和二〇年勅令第五四二号「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基き「終戦後の事態に対処し物価の安定を確保し以て社会経済秩序を維持し国民生活の安定を図るを目的と」して制定された勅令であることは同令第一条によって明らかである。そして、この目的を達成する一手段として同令第三条、第九条乃至第一〇条等において不適正な価格等を得べき契約又は受領等の行為を禁示する規範を定め、同令第三三条、第三四条においてその禁止規範規定に違反した者を処罰すべきものと規定している。されば或る契約又は受領行為が同令の価格違反なりや否やはその価格につき統制額あるときは同令第三条によるべく、統制額なきときは同令第九条の二又は第一〇条によりその額が不当に高価なりや又は暴利となるべき価格なりやを判定すべきものである。それ故仮りに統制額が全部撤廃されたとしても、それは同令第三三条第一号に該当しないだけで、その一事を以て直ちに当該行為が同令の価格違反にあらずとして被告人を無罪又は免訴とすべきでないこと言うまでもないのである。

次に同令第三三条は、「左の各号の一に該当する者は十年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処す云々一、第三条の規定に違反したる者云々」と規定している。従って、右第三三条は刑罰法規の禁止法規を第三条の規定に譲っている点において、いわゆる空白刑罰法規である。しかし同令第三条は、「価格等に付第四条乃至第七条に規定する統制額あるときは価格等はその統制額を超えて之を契約し、支払ひ又は受領することを得ず云々」と規定して「統制額」あることを条件とはしているが「統制額を超えて契約し、支払ひ又は受領すること」を禁止する法規であることには何等の空白も存しないのである。従って右にいわゆる「第四条乃至第七条に規定する統制額」を定めることが禁止規定そのものの空白を補充する行為であるか又は禁止規定に規定されている「統制額」なる一構成要件に事実上の条件を与え若しくはこれに該当するや否やの判定を容易ならしめるための認定標識を与えるに過ぎない行為であるかゞ問題となるのである。若し前者なりとせばかかる補充行為は法規範補充の立法行為であり従って法律問題であり、また、後者なりとすれば法規実施の行政行為従って事実問題に属するであろう。いわゆる価格の指定又は認可の告示なるものは後者に属する一般行政処分と解するを正当とする。従来大審院竝びにわが国の学者の多くは告示を勅令又は省令と同一視し、告示は、白地刑罰法規を補充する法令制定行為の一部を成すものと解していた。しかし、物価統制令第三条は前述のごとく第四条乃至第七条に規定する統制額あることを条件としているだけで、「統制額を超えて契約し、支払ひ又は受領すること」を禁止する法規範には何等の空白も存しないのである。従って、統制額を定める告示は、窃盗罪における「他人の財物」を判定する場合の民事法規と同じく、当該禁止法規(刑罰法規)以外に存する一犯罪構成要素認定の標識たるに過ぎないものと見るべきである。されば、告示の不存在乃至改廃の問題は、行為当時における犯罪構成要件を具体的に充足するか否か、従って無罪であるか否かの事実問題であって、刑罰の変更又は廃止、従って、免訴すべきか否か等の法律問題ではないのである。

そして、同令第四条乃至第六条(特に第七条を除く。)は、行政官に対し価格の指定又は認可従ってその変更乃至廃止の権限を委任したものと解し得ても同令第三条の価格統制規範を廃止する権限を与えたものと見ることのできないことは明らかである。なぜならかゝる規範の廃止はこれを制定したと同一の効力ある法規すなわち勅令(政令)を以て為すべきであるからである。果して然らば仮りに前者の立場をとっても昭和二一年三月三日大蔵省令第二五号物価統制令施行規則第四条に基づく同年七月二〇日大蔵省告示第五八一号(果実の販売価格の統制額指定の件)を単なる昭和二二年一〇月二七日物価庁告示第九二九号を以て廃止したからといって、物価統制令第三条の禁止法規従って同第三三条の刑罰法規を廃止する効果を生じ得ないことは勿論である。されば論旨第一、二点はいずれの点よりするも採ることができない。

裁判官真野毅の反対意見は左のとおりである。

本件において刑の廃止を認めなかった原判決は違法であるから、原判決を破棄し、免訴の判決言渡をするのを相当とする。左にその理由を述べる。

刑法第六条は、「犯罪後ノ法律ニ因リ変更アリタルトキハ其軽キモノヲ適用ス」と規定し、旧刑訴三六三条二号は「犯罪後ノ法令ニ因リ刑ノ廃止アリタルトキ」は判決をもって免訴の言渡をなすべき旨を規定し、又同四一五条は「判決アリタル後刑ノ廃止若ハ変更……アリタルトキハ、之ヲ上告ノ理由ト為スコトヲ得」と規定している。しかるに、犯罪後の法令により刑の廃止があったと見えるにかかわらず、なお、前記一連の規定の適用が除外せられる場合がある。それは、およそ次の三つの場合に限られる。(一)その一は、罰則が廃止された後においてもその廃止前の違反行為についてはその罰則を適用する旨を法令をもって明らかに規定している場合である。そして、法令制定の当初からかく明定されていることもあり、又或る法令が廃止せられる際に特にかく明定されることもあるのである。例えば、後に掲ぐる昭和六年法律第四〇号重要産業統制法の附則第三項は前者の場合に属し、また昭和二〇年一一月一七日勅令第六三四号が下記数種の法令を廃止すると共に、「本令施行前ニ為シタル行為ニ関スル罰則ノ適用ニ付テハ兵器等製造事業特別助成法、関東州兵器等製造事業特別助成令及南洋群島兵器等製造事業特別助成令ハ仍其ノ効力ヲ有ス」と明定しているのは、後者の場合に属する。そしてまた、理論としては法令施行の中途において明定されることもあり得るであろう。これらは何れも法令の明文規定をもって直接明確に定めているのであるから、前記刑法六条等の規定の適用が除外されることは殆んど疑の余地がないのである。次に、(二)外国為替管理法は、資本逃避防止法を廃止する旨を規定すると共に、その附則において、「本法施行前旧法の罰則ヲ適用スベカリシ行為ニ付テハ仍旧法ニ依ル」と規定している。そして、又国家総動員法と軍需工業動員法、物価統制令と価格等統制令、物資統制令と生活必需物資統制令の各関係もほぼ同様となっている。しかし、仮りにかかる附則の明文がない場合においても、後者の各法令は廃止せられて形式的にはその効力を失うけれども、これと同時に前者の各法令が代って制定せられて実質的には後者の各法令の重要性が承認せられその罰則に対する違反行為の可罰性は消滅するものではない。すなわち、新に制定せられる法令と廃止せられる法令とを実体的性質について比較検討し、後者の罰則に対する違反行為の可罰性が実質的に消滅しない場合には、たとい前述のごとき附則の明文がない場合においても、事物の性質に従い理論上当然旧法の違反行為は、旧法の形式的な失効後においても処罰せらるべきものであると言わなければならない。さらに、(三)いわゆる限時法の場合がある。純正な意義において限時法とは特殊な一時的事情のために実施につき一定時期を限って制定せられた刑罰法規をいうのである。ドイツでは、限時法について一九三五年の刑法中改正法律二条の一第三項において「一定期間のためにのみ制定せられた刑罰法規は、その施行中になされた犯行に対してその法規が廃止された後においてもなおこれを適用する」と明定するに至った。また、わが国の昭和六年法律第四〇号重要産業の統制に関する法律の附則第二項には「本法ハ施行後十年ヲ限リ其ノ効力ヲ有ス」と規定し、同第三項には「前項ノ期間内ニ為サレタル本法又ハ本法ニ基キテ為ス処分ニ違反スル行為ニ付テハ、本法ノ罰則ハ、前項ノ期間経過後ト雖モ仍ホ之ヲ適用ス」と規定している。これは明らかに限時法である。かくのごとく刑罰法規が一定の実施期間を限定せられると共に、期間経過後(法規廃止後)においても有効期間中に行われた違反行為に対してその法規が適用せられる旨を予め明定している場合は、前記刑法第六条等の規定の適用が除外せらるべきものであることは、既に(一)において触れたとおりである。またたといかゝる明文規定がないとしても、特殊な一時的事情のために一定期間を限って制定された刑罰法規は、該期間の経過により当然廃止せられた後においても、その施行期間内になされた犯行に対しては適用があるものと解すべく、従って前記刑法第六条等の規定の適用は除外せらるべきものである。けだし、刑罰法規がかくのごとく特に一定期間を限っているのは、その期間中の犯行は期間経過後においても処罰すべきことを明らかに予定しているものと解するを妥当とするからである。

この限時法の観念を放漫に解しいわゆる統制経済刑罰法規を一時的な暫行的性格を有するものと独断し、特にその実施につき一定期間を限定せざる場合においても、すなわち純正な限時法でない場合においても、なおその廃止後において廃止前の犯行を処罰せんとする見解は許し難き行過ぎである。統制法規たると否とを問わず、すべて法律は廃止されるまでは存続する性質を有する。一時的と思って立法されたものもそのまゝ十数年数十年の長きに亘って存続することもある。一体、統制法規の一時的ということ自体が概念的な甚だ空漠としたものであって、現実的に時の幅を認識することのできない一つの想像以外の何物でもない。現実的には統制法規といえどもその時代の社会的、経済的、政治的事情の複雑した諸要因の総合作用によって存続の時の幅が決定されるものであることは、普通一般の法規と少しも異るところがない。それ故、統制法規は一時的性質を有するという概念的な形式的な漠然たる仮定を前提として裁判の基礎におくことは、現実的、実証的な態度と言うことはできない。これと異り、前記の純正な限時法の場合には、現実的に法規存続の時間的幅が限定されているのであるから、かゝる法規はそのまゝの推移をたどれば時の経過によって自然的に廃止の状態に入るべき性格のものである。これが限時法の性格であって、その時間的幅の長短とは直接な関係がない。従って、仮に統制法規を一時的の法規だと独断するとしても、それが直ちに多数意見の言うように「限時法的性格を具有する法規である」と速断するわけにはいかない道理である。かように、本来限時法的性格を有せざるものに、強いて限時法の理論を当てはめようとするところに根本的な誤りが伏在する。

本件のごとく物価統制令において罰則規定が定められており、大蔵省告示において果実の販売価格の統制額が指定される仕組になっている場合においては、前物はいわゆる空白刑罰法規であり、後者の告示によって該罰則の内容である罪となるべき事実、すなわち犯罪の構成要件は充足せられているのである。この両者が相倚り相待って初めて完全なる刑罰法規を組成するものである。すなわち、

物価統制令+x=刑罰法規

物価統制令+告示=刑罰法規

であって、刑罰法規としての物価統制令に内在する空白を告示が充足することによって、初めて実質的に完全な刑罰法規が成立するわけである。この告示による統制額の指定は、その本質においては行政庁が個々の具体的事件についてする行政処分ではなくして、立法府の委任によって一般的、抽象的に適用される刑罰法規の一部(物価統制令の空白)を制定するものである。立法府が自ら立法する代りに、行政庁に委任して法規の一部を立法せしめるものである。結局、告示の制定は、立法である。これと同様に、告示の廃止は、制定した法規の一部の廃止であって、本質上は立法作用に属する。だから、法規の一部であって告示が廃示されれば、たとい法規の他の一部である物価統制令が生きていても、一つの刑罰法規として働く能力は失われその後は、何人も物価統制令によって処罰をうけることのない法律状態が形成されるのである。それ故、本件における統制額指定の告示の廃止が、刑法六条にいわゆる「刑の変更」(刑の廃止又は変更)並びに旧刑訴三六三条及び四一五条にいわゆる「刑の廃止」に該当することは明々白々である。従って、本件の上告は理由があり、判決をもって免訴の言渡をなすべきを当然とする。多数意見は、「裁判時の先後によって、同種同質の罪が或は有罪となり、或は免訴せられるという不公平な結果を惹起する」ことを非難するが、これは刑の廃止の場合には常に生ずる現象であるのみならず、却って刑法六条等は裁判時に刑の廃止されている場合には常に刑の廃止前の犯行者を免訴することをもって刑の廃止後の行為者との比較において公平を保たんとしているのである。また多数意見は、告示の廃止の場合に「刑の廃止」ありとして違反者を免訴するようでは「違反行為取締りの徹底を期するを得ない」と言っているが、これは、結局国家至上主義、警察国家主義、絶対国家思想を基調とする官僚的謬見に出ずるものである。罪の罪すべきは厳として罪すべきであると共に、罪の赦すべきは惜みなく赦すべきではなかろうか。統制違反は本来の実質的な自然犯ではなく単に形式的な行政犯に過ぎないのであるから、その形式たる法規の変動によって最早行政犯たる性質を失うに至った場合には、従前の行為者に対して免訴を言渡すのが、刑の廃止後の行為者との比較において自然犯の場合よりも一層必要適切であると言い得るのである。若しそれ、「取締りの徹底を期する」必要がある場合においては、基本たる刑罰法規自体で「告示が廃止された後においてもその廃止前の違反行為についてはその罰則を適用する旨」を規定すればそれで事は足るのである。何も裁判でかゝる立法の不備を補ってまで「取締りの徹底を期する」必要がどこにあろうか。否そればかりではない、新憲法においては罪刑法定主義は憲法上の原則となっている。すなわち、法定せられざる罪刑をもって人を処断することはできない。刑の廃止されたに拘らず法定の免訴の言渡をせず人を処罰することは、法定せられざる罪刑をもって人を処罰することと消極、積極の差があるだけで共に憲法の認むる罪刑法定主義の精神に反するものと言わなければならぬ。

この限時法ないし一時法は、一八七八年のビスマーク社会主義者法失効後のドイツ帝国裁判所の判決以来学者間に非常の論争のあった問題で、これを調整するためにドイツでは一九〇九年以来刑法改正の委員会が順次相尋で九つも設けられ甲案乙案内容の相反するものが作られたが、最後に一九三五年の改正法をもって前記第二条の一第三項のごとく純正な限時法のみを認めることとなったのである。わが国では大審院がドイツ一部の学説に従って限時法の適用を放漫に解して以来時代の取締強行の軍閥的統制の波に乗って限時法の観念が不当に拡張されて来たのである。それは怡も枯野原を焼く野火の拡まるが如く、悪性のバチルスの漫延するが如く滔々として深く怪しまれなくなったのである。しかしながら、新憲法の下、罪刑法定主義が憲法の原則にまで高められ、基本的人権の尊重が重大視される今日においてなお刑の廃止による法定の免訴原因があるに拘わらず、強て言辞を構えて刑の廃止にあらずと解し、徒らに軍国時代、警察国家時代の旧い殻の中に安住することは私の採らざるところである。

裁判官井上登、同岩松三郎の意見

われわれは結論において真野裁判官と同意見である左に一言書き加えて同裁判官の意見に合流する。

「何年何月何日迄施行する」とか或は「何年何月何日から何年間施行する」とかいうように定められた法規(以下真野裁判官の用語に従って純正限時法と書く)においてはその失効の時期が予めはっきり知られているからその失効間際になると、違反行為をやっても裁判時迄には法が失効し、それによって科刑を免れ得るだろうとの予期の下に罪を犯す者が多くなり、法の目的を徹底することができなくなるであろうとか、又違反行為により検挙された者も法の失効するに至る迄徒に審理を遅延させて科刑を免れようとするであろうとかいうことが十分考えられる。しかし本件告示のようなものは何時廃止されるか事前に予測することのできないものである、経済状態が恢復すれば廃止されるというけれども何時恢復するかわからないし、又どの程度に恢復すれば現実に法の廃止が行われるか予想することはできない、(現に主食の統制の如きは食糧事情が大分よくなったにかかわらず今なお廃止されていない)、それ故本件告示のようなものについてはその廃止を予期して罪を犯す者が多くなるというようなこともまずないであろう。実際においても今度の告示廃止直前にこれに対する違反行為が激増していたといふことも聞かないし、又主食についての統制も遠からず廃止されるだろうと考えている人も相当多数にあるようだが、そのため目下統制違反が激増しているということも聞かない(これは従来大審院の判例によって、告示廃止前の違反行為をその廃止後においても罰していたためだという人があるかも知れないけれども、われわれにはそんな風には考えられない、大審院の判例が出る前でも告示の廃止間際にその違反行為が激増したという話は聞いていない)。それ故多数説のいう「違反者は告示の改廃を予測して遵法を怠り裁判の遷延によって不当に科刑を免れんとする傾向を生じ」云々の如きはたゞ頭で考え得るというだけのもので現実にそういう弊害が生ずるとは思えない。多数説及び従来の大審院の判例は純正限時法についての考え方を不当に拡張したものといわざるを得ない。必要ある場合には法が忘れずに「なお従前の例による」との附則を附けているのに本件の場合何等そういう特別規定がないにかかわらず刑法六条、旧刑訴三六三条等の適用を排除して刑を科さなければならぬとする根拠を見出し得ない。かかる科刑を敢てすることは法律の規定に反して罰を科することになり不当である。この意味において即ち法の規定に反して刑を科するという意味においては罪刑法定主義に反するといい得るかも知れないが、その他の点においては真野裁判官の罪刑法定主義違反論には賛成しかねるところがあるし、又同裁判官が多数説を「国家至上主義、警察国家主義、絶対国家思想を基調とする官僚謬見」なりとする点、その他微細の点で必ずしも首肯し難いものがないではないが大体において同裁判官と同意見である。

(なお本件においては傍論にわたるから書かないが、或物につき終局的に価格の統制を廃止する趣旨でなく、その時々の経済状態に従い一時的に価格を上げたり、下げたりする場合についてはわれわれは少し別の考えがあることを附言して置きたい)

(裁判長裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 島 保 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例